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914 柳の下のおでん缶はいつまで生きているか

電車男が変な感じでブームになってから、世間では「そっち方面」は流行と言う事になっておりますが。


◆ブーム

ブームということになっているわけですが、好意的な感情でブームとは言い難いブームだと思います。
結局のところ「珍奇な人たち」を日本中で晒して喜んでいるというだけのことです。そもそも電車男は、「そんな」奴が実はいい奴であって、そしてそんな奴が「更正」しました、というお話。

他のことに例えてみたら解ると思うのですが、具体的なことを書く事は憚られますから各自想像しましょう。
例えば「○○な女の人ブーム」のようなもので同等なものを想像してみてください。
そんなものをブームにしたら裁判になります。


◆一つのグループ?

今回のブームでひとくくりにされている人たちが、そもそもひとくくりにされるべきなのかどうかも疑問です。

例えば「音楽好き系のブーム」というのがあったとしましょう。そして今回のブームは尊敬の念からではありませんから、仕方なしに例を少し「ひねり」ます。悪意は無いのでお許しください。
・路上でアコースティックギターを抱えて大声でハモろうとしていろんな意味で演奏がずれている人たち
・服装とか車の内装には熱中しているが、家にはほとんど使ってないターンテーブルが置いてあるだけで、でもクラブでDJとかやってますと言い張っている人たち
・音大通いで一通り難しい事は言えるし、自分の専門の楽器は人並み以上に弾けたりしてなにやらムズカシイ事は言うのだけれど、「自分自身」でチョイスする音楽はカウントダウンTVレベルの人。
どうでしょう。この人たちは(一般人とよりも)互いに理解できないはずで、一つの呼称で呼ぶのは彼らに失礼だと思いませんか。
#上記の三例は音楽のジャンルだけではなく、関係の仕方について違えてあります。何がなんだかわかりますか?

テレビでは、「萌え~」と言っておくとか、メイド姿の人間を出しておけばよいとか、カテゴリが間違っている点と理解のなさを上記の例で例えると「ヒップホップ意識な服装をした人が路上でアコギを抱えて、つまんないクラシックの曲をソプラノで熱唱」というような感じに見えます。
当然そんな人はいません。


◆それ系のテレビ番組が面白くないわけ

理解がされていないと思われる証拠に、それ系を扱ったテレビ番組がどうにも不評であるという現象があります。
以前記事にした「元祖でぶや」が秋葉原特集だったときとか、ここで感想がかかれているように「アド街ック天国」の特集でも、みなさん「どうにも上滑りなだけ」「どうにも無内容」という感想をお持ちのようです。

今晩の 出没!アド街ック天国 は "アキバ"

テレビを作っている人がどう映してよいのやら全くわかんないんでしょうね。メイドカフェくらいしか解ることが無い、と。


こちら方面の専門の方が読んだら完全に間違った推測かもしれませんが、これってヨーロッパの人が全くの異文化に最初に接した時にやっていた事と似ている気がします。

彼らは(ヨーロッパ人の思うような)野蛮で未開で無知で文明によって救われるべき人間でなければなりませんでした。ので、彼らが書いた文章の中を読むと、一生懸命「自分達の思っているもの」を探し出そうとしている様子が見えます。
そして、現地の人や風景を描いた絵画は妙に写実的(リアル)です。なぜ写実的なのかというと、自分に見えているものを理解してから描けないため描き手の心を通した絵にすることが出来ず、写真機のように見えたものを忠実に再現する他なかった、と。

脳内の虚像をテレビカメラに映そうとして対象が見つからない。メイドカフェを映してそのあとはどうしたらいいかさっぱりわからない。困ったのでとにかくそのあたりのものを適当に映すほか無くなります。
結局、毎度毎度メイドカフェがでてきてその他は妙に薄っぺらい映像が出来上がる・・と想像。

◆おでん缶

本当に秋葉原にあるのはモノではなくて心の中味で、例えばメイドカフェは心の中味であるべきはずのものを具現化する暴挙だから意味があるわけです。メイドカフェ的のメイドは本当は実在しないのですが、無理矢理に具現化しているだけです。具現化しているからテレビに映すことができますが、あれは例外。
モノよりも自分の心の中の興味を優先する人たちが集まる場所ですから、最初からほとんどのものは(そのままでは)映らない。だからテレビが行っても何かを映すのは難しいはず。

どうしても映したいなら、同じように無理に具現化して「電車男カフェ」でも作らないといけないでしょう。

そんな中で、珍しく一般人と感想が近いものがあって、それが「おでん缶」。

と言っても、秋葉原の人にとっても「おでん缶」は単に意味の解らないネタに過ぎなかったわけで、「おでん缶」は秋葉原的文化の一部ではないことも事実。

しかし、この騒動で外野の人間が「おでん缶」を秋葉原的文化の一部だとあんまり騒ぐからか、おでん缶が沢山売れて誰かが調子に乗ったのか、ともかく名古屋や大阪にも「おでん缶」が進出してしまった模様

日本橋にもおでん缶が!
おでんなのに「冷たい」っていうのはどういうわけなのか。しかも冬、しかも記録的な寒さの冬。どうして「冷たい」が存在するのか。
自販機の中で温まる暇も無いほど売れているようですね・・・たしかに見かけたら私も買い込んでしまうかも。

おでん缶 99名古屋7号店前自販機に登場
普通のドリンクと一緒に売っていると言うのはいかがなるものであるか。
「寒いしのどが渇いたからホットコーヒーとパンを買いますよ・・・パンとコーヒーで『糖がまわった、力が湧いた(by トリック)』ですよ・・・・コーヒー・・・コーヒー自販機発見、お金投入・・・・コーヒー、あ!おでん売ってる!・・・あ!押し間違えた!おでん!おでんいらんねん!お釣り・・高い!高い!お釣りでてこない!高い!パンが買えない!糖が!糖がぁぁぁ!」


「おでん缶」自体は面白い試みであって、個性均一な缶の世界に個性で挑む「ジョリーグッドな野郎」ではありますが、なぜに電気街か。

今のところ「おでん缶」が街のシンボルだと思っているのは野次馬だけで、おでん缶の精神的シンボル性は皆無ですが、例えば五年後にすっかりそうなっていたりするのかどうなのか。

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