950 VODにおけるメディア所有欲と視聴欲の分離
VODを見なくなるのは、メディア所有欲と消費欲が違うものだからだと思います。
IT media の+D Blogに、
何故か使わぬVOD
という記事が載っている、それについてのコメント。
記事から引用
VODは10年前にマルチメディアという言葉が流行っていた頃からの夢のサービスの一つであった。ブロードバンドの普及により一般的に使えるものになり、映画やドラマが好きな自分にとっては、仕事抜きで楽しめるだろうとの期待をもってBOXを入手した。一方で仕事のネタとして語る以上は一事業者のサービスのみに依存するわけにもいくまいと、非常に無意味に思えるだろうが二つのBOXを接続することとした。
が「電源すら入れないようになってしまった」、という話。
メディアに入った映像作品というのは往々にして視聴したいのではなくて保有したいから購入していて、テレビを録画して残すのは後で見たいからと思ってのことだが、保有しない決定をしたくないから録画している。
だからこそ無意味にDVDボックスをそろえる人が沢山居るのであって、それゆえにDVDボックスは商売になるのでしょう。
VODは気がついていない保有と消費のねじれを露見させてしまうのはないでしょうか。
あるいは「DVDを買う」の文脈と比べてみるに、VODの機器を購入して所有した時点で目的は達成されているのでしょう。
よく考えるとそういう物は沢山あります、毎日家に届く新聞はどの程度読むでしょうか、ケーブルテレビに入ってからどのチャンネルをどのくらい見たでしょうか。
iPodに至ってはポケットに入る大きさの装置の中に、下手すると一生かけても聞かないほどの曲を入れることができてしまう。
もちろん、持っているものは全て聞く必要なんて無いのであって、面倒も無くいろんなものからいつでも聞けるから良いのだといういいわけはよく聞くわけですが、自分用VODサーバを自分で整備しているのに等しいと考えてみると、結局VODと同じ話になってしまう。
世の中はどんどんものを消費する事を前提に成り立っているにであって、コンテンツの世界においてもこれは同様。世の中的には消費が増大する方が望ましいから、保有と消費のねじれの存在に気がついてはならぬという暗黙の場が強力に働き、我々の消費スタイルの構成に作用しているのかもしれない。ああ、なんかそういう経済学派もありましたね。
そこで「清貧の思想」みたいなところに話を持ってソローの話をするとか、「コンパクトな生活の方がもはやスマート」とか、そこからスローライフとか文化バズワードを言い出した方がブログとしては人気が出る気もしますが、そこはあえて無視して、新たなパラダイムをここで紹介しましょう。
新たな時代のキーワードは『スタパ斎藤』。
思考の変革をおこなって「保有が目的」だと認めてしまうことで新たな地平が開けるのです。
VODの装置がほこりをかぶっていても反省してはいけません、その上で新たに最新型のVODの装置を買い、さらに発売されるたびにVODの装置を購入するのです。
新製品発売の報に店に駆けつける時、そして家に居並ぶ無駄なVODの装置を眺めて「なんと彼岸な」と思う時が、この趣味の至福の時です。
冗談はともかく、飽和点はもうとっくに越えているはずのこの話、将来はどうなってしまうのでしょうか。
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