944 バケツに入ったプリン / 「コンテンツ」の呼び方 / 働くな?
記事三つについて。
バケツには言ったプリンの話、コンテンツの日本語での呼び方について、そして「働くな?」について。
◆バケツに入ったプリン
「バケツに入ったプリン」などのスイーツがオークションで
から。
「夢のバケツプリン」だそうです。
オークションを知らしめるための話題作りだと思いますが、写真がなかなかすごいです。
しかし、「通常のプリン15個分」だそうで、バケツとは言っても小さいバケツのようです。
◆「コンテンツ」の良い表記方法
「コンテンツ」という言葉。新聞用語的には「情報の内容」などと注釈を入れることが多いが、単純に「情報」と注釈するほうがいいような気がする。「映像コンテンツ(情報の内容)=映像情報の内容」と書くより、「映像コンテンツ(情報)=映像情報」のほうがすっきりしますよね?これ、どこかで統一できないものだろうか?コンテンツ=情報ではダメだとおもいます。 そもそもは言葉の定義の問題なので、非生産的な堂々巡りの議論が簡単に出来てしまう話題ですが、その辺りは何となく解っていただくことと前置きしてちょっと書きます。
たとえば「測定器の測定データ」は情報ですがコンテンツではありません(文脈次第ですが)。
円周率のデータが延々記録されている何かがあっても普通そういうものはコンテンツとは言いません(文脈次第ですが)。
「内容」と書くのは、ある情報を与えられた人間側の反応しだいでコンテンツと呼ぶにふさわしいかそうでないかが決まるからだと思います。情報があたえられても、「これ、何にも『内容』が無いじゃない」と思ったらコンテンツではありません。
おそらく。
あるいは、世間的使われ方といわれれば「売り物になる無形物」でよいかもしれないと思います。
◆働くな?
「成果主義は間違いである」という記事は内容の如何によらず人気かもですね。
やっぱり調和の方が大事なんだ、世の中なんでも中庸ですよ、とか。
これは本来、道徳の話では無いと思うのですが。
成果主義の導入の目的は、「最小のリスクと最小の努力でまあまあの報酬を安定的に得ることを追及する」ではなく、「安く多く働け」という目論見にてでしょう。
「成果主義を導入したのに、最小の努力しかせんとはどういうことだ!首にするぞ!」とか。
これは成果主義は成果主義が達成すると思い込まれていることが達成できないという「謎について」では?
というか、「ほどほどに立ち回る」というのは、それはそれで別の意味で疲れる「綱渡り」というやつなのではないでしょうか。
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