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934 問題を語りたいのか、それとも問題は口実に過ぎないか

西さんの言いたい事は、「コピーワンス自体について語りたいのか、それともコピーワンスを口実にして別のことを言いたいだけなのか」ということだと思いました。


バカな話題を書いたり、かとおもったら大真面目な話題になったりするブログですみません皆様。
今回は真面目な話です。
いつものように文章がお粗末なのはお許しください。


西正が贈るメディア情報
から
目障り、耳障り?
について。
一部引用。

例えば、世間では皆が「コピーワンスは見直せ!」と叫んでいるのを知りながら、「でも、コピーワンスにも良いところが・・・」などという原稿は、書く前から、書いたら叩かれることくらい分かる。だけど、サーファーのように「世間の声、大多数の声」という波に乗った原稿なんか、書く方もさることながら、読む方も面白いのかなと疑問に思う。まあ、「我が意を得たり」と思う人は多いのだろうけど。
へそ曲がりでもないけど、目障り、耳障りかどうかは、あまり考えないようにしている。「我が意の得られぬ」ことを言う奴の話を読んだり聞いたりするのは時間の無駄だと考える人が多いのもよく分かる。波乗り原稿を読まされるのも、ヨイショを聞かされるのも時間の無駄だとは思うのだけど、人間は頭で分かっても、その通りにはならないから難しいのだろうと思う。

「コピーワンスって本当に見直さなきゃいけないの?」とか、「BCASにだって存在意義はあるよ」と書いていると、今のところは気○い扱いされるだけのようだ。怒る人の気持ちも分かるけど。


◆Rootkitに例えてみる

あまり良い例が思いつきませんで申し訳ありませんが、Rootkit問題を例にして見ましょう。

Rootkit問題で騒いでいる人の無視できない部分が、「はたして技術的に何が問題だったのか」ということを全く知りません。
トロイ入り音楽CDを売ったといわれたり、酷くなるとウイルスが混入したCDを売ったのだという言われかたまでしています。

最初に断っておきますが、私も手法としては最低な方法だとは思っていて、良い事だとも仕方無かった事だとも、ちっとも思っていません。


ソニーが何をやったのかというと、
「特定の文字列をファイルの名前に含むファイルを見えなくする」
というモノをマシンにインストールし、
そして、見えなくする機能を使って音楽CDを守る仕組みを使っていたというのが事実。

なぜ問題になったかというと、
そういう気味悪いものを入れることを「明示的」に説明していなかった事。
そして、
今回の問題発覚後にRootkitが入っていて特定の名前のファイルが見えないことを踏み台にした悪さを考えた奴が出てしまったこと。そして、それは前もって予測できた事であること。

さすがに前もってこうなる可能性を解っていたなら採用していないでしょうから、よく考えずに「この技術良くわかんないけど画期的!」とか思って採用してしまって後で困った、そんな感じでしょう。

露見した問題をちょっと考えてみると、
1.技術的に無知な人間が重大な決定をしたこと。
2.どうして訳のわからないものを利用者の明示的同意なしにインストールできてしまうのか
3.「あなたは同意してパソコンに入れたはずですよ」の一言で訳のわからないものをマシンに入れられても文句が言えないという問題。
4.こんな変な手法をもちいて著作権「保護」をしているCDの現状

1.はコメントするのが面倒なので、
「(実はわかんないけど)これで儲かるから」「(実はわかんないけど)これがビジネスですから」「技術とかなんだよ、それ儲からないだろ。このお金の出入りの表を見なさいよ、プラスでしょ?わかんなくても儲かるのがえらいんだよ」の弊害、ということにして今回は終わる事にします。

2.3.は初めての問題ではありません。
コピーコントロールCDで、「CDを入れたとたんにインストーラーが自動起動し、画面に何の説明も警告も出さずにマシンに常駐するソフトウェアをインストールしてしまう。挙句に通常の手段ではアンインストールも出来ない」
というようなCDが以前からあります。
本当はずっと以前に問題になって居なければならなかったはず。

4.は大局的な意味では大事な話かもしれません。
まずは複製できるものを複製できないようにしているからこんな事になる側面があります。そもそもデジタルデータは複製できるのが自然の摂理だからです。本質的に無理があるのです。
ではDRM(ようするに複製を装置で強制禁止する仕組み)を導入したら済むのか?
DRMのシステム自体が「変な手法」ではないのか(だってコピーワンスとかめちゃくちゃ不便でしょ)、DRMのシステムというのは、今度は逆に権利者側に音楽の歴史上かつて無いほどの権力を与えてしまう結果にならないかとか。
そしてこれに加えて、音楽権利者≠音楽製作者であるという事実がすでにあること。あるいは音楽権利者=音楽製作者とは到底いえない状態であると言い換えた方がいいかもしれません。


話はいったん終わる事にします。

では、なにが起こっているのか解っていないのに騒いでいる人たちは一体何を騒いでいるのか?
問題そのものについて騒いでいるのなら、Rootkitが何か解らないのに騒げるはずがありません。

不祥事を口実にして、他の主張をしたいだけなのではないでしょうか。

Rootkit問題はどうでもよく、単にソニーが嫌いだと言っているだけ。
Rootkit問題を口実にして、著作権管理システムや著作権管理についての不平を述べているだけ。
Rootkit問題を口実にして、現代社会やIT社会のモラルがどうだと言いたいだけ。

いえいえ、一応書いておきますと、私は上ですでに書いたようにこれらにも不満はあります。
しかし、「Rootkit問題を口実にして」というのは、主張の内容ではなく主張の形式が間違っている、と言いたいのです。

もちろん形式が間違っているからといって主張まで間違っているとは限りません。
例えば「Rootkit問題を口実にして、著作権管理システム」は、私の意見の途中の過程が飛んでいるだけとも言えます。


◆西さんの記事に戻る

もう一度最初の文章を持ってきますと、

「コピーワンス自体について語りたいのか、それともコピーワンスを口実にして別のことを言いたいだけなのか」

だから、西さんが「コピーワンス自体」についてあれこれ言おうとしたら、

「権利団体のまわしものか?」
これはつまり
「コピーワンス自体を口実にして、権利団体を批判する」のが当然の思考回路の人からすると、賛成しない人は権利団体の回し者ということ。
そして、こういう思考回路が蔓延すると、コピーワンス自体についてまともに意見が言えなくなります。
西さんの言う「世間の声」「時流に乗る」というのはこれかなと。

ちょっと思ったのですが、
「構造改革」や「抵抗勢力」という昨今よく言われる言葉は、同様にところにはまり込んでいる気もします。

「権利団体の回し者だな」→「抵抗勢力だな」

(ちなみに、私はコピーワンスはダメだと思っています)

◆もういちど

しかしここでもう一回話を逆にします。

私の最初の意見、「口実にして発言をしている」について。
もちろん「口実にして全く関係無い事を主張している」のはダメですが。

たとえばダムには感情的な反対があります。これに対して治水とか経済がわかってないくせに反対するのは愚かな運動である、という人がいます。
しかし、「わかってないなら何も言ってはいけない」のなら多くの人は不満を言えなくなります。良く解らないのだけれど、理不尽な公共工事に対して溜まった不信の表明としてなら仕方が無いかもしれません。

つまり、
口実にして個人的な不満を言っているだけだから、だから何も言うな
というのも何か間違っている気がします。

便乗して不平を言っている人の主張はなんだか変です、しかし、そういいたい気持ちは解らないでもない。
そういうわけで、どうして良いかわからなくなります。
なぜなら、賛成するにできないし、違うとも言いにくいからです。
話の組み立てが間違っているのだと説明しなきゃならないわけですが、その過程で間違った意見に賛成するか、工作員扱いされたりするからです。


私の結論としては、議論なんて面倒だから参加したくないのかもしれません。

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