928 南極で歌う氷山が発見されたそうだが、それは「歌う」と言うのか?
音を出している珍しげなモノのことを「歌う」と呼ぶのは定番なれど、
女子有名スポーツ選手はなぜか全員美人扱いになってしまう、のと同じくらいに安易。
「南極で音を出す氷山見つかる」とかにしませんか。
◆どんな音?
氷山だから、そして南極だから。
頭の中には白銀の世界とペンギンの大自然がイメージされたりするので、世間的には確実に「歌って」いただかなきゃならない状況でしょうか。
もし南極がアイドルなら、ファンのイメージを保つためにはマスコミを操作してでも歌わなきゃならないような状況でしょうか。
科学者たちによれば、問題の氷山は周波数0.5ヘルツ程度の音波を出している。
音波って言う感じですらないですね。
周波数が低すぎて聞こえないどころか、「二秒に一回」だから震動って言う感じです。
信号を追跡した結果、 彼らは50×20キロメートルほどの氷山が、水中にある半島と衝突してゆっくりと擦れているのを発見した。
歌うというより「ゴリゴリメリメリ」という擬音を想像します。
氷山が熱膨張で音を出すとか、もうちょっと珍しい現象なのかとおもったら「氷山の座礁音」というのが事実のようでした。
氷山が座礁しているわけですから、タイタニックの逆?というわけで「逆タイタニック音」という名称も適当にでっちあげておきます。
◆座礁音vs歌う氷山
ここからちょっと真面目に考えてみました。
「歌う何とか」というのは定番の表現です。
「歌う植物」、「歌う地球」とか。
神秘を発揮して欲しい願望があるものが、音を発していたら無条件で「歌う」呼ばわりされるようです。
たとえばトタン屋根が熱膨張で軋む現象があっても、そういうのはあんまり「歌う」とは呼ばない気がします。トタン屋根には神秘は期待されていないからでしょう。
「歌う」というのは本来生き物がすることです、だから「歌う」という表現は暗黙の擬人化を伴っているのかもしれません。
だとすると「歌う氷山」というときには、心の中で氷山は「氷山さん」みたいな事になっているのでしょう。
擬人化なのは「歌う」とつける場合表現上当たり前だと思うかもしれません、しかしそうではないと思います。
試しに、氷山にプラクティカルな成分を追加して「氷山さん」の成分を消し去ってみましょう。
そうですね、
「氷山の一角」とかどうでしょうか。「氷山の一角さん」とは言いにくくなりました。
「氷山の一角が歌う」
シュールな表現に変わった、かもしれません。
つまり「歌う」という表現が好まれるのは、現実世界から逃避するのが好まれるからでしょうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント